玄甲舎(金森得水 別邸兼茶室)

伊勢國お庭街道|伊勢神宮の参拝に繋がる[令和のお伊勢参り]|三重ガーデンツーリズム協議会

庭園概要

開園面積 826.44(㎡)
入園料金 大人200 円、高校生以下・障がい者手帳をお持ちの方無料
公開時期 毎週火曜・年末年始(12/29~1/3)以外
施設管理者
その他 玄甲舎パンフレット:玉城町発行
玉城町HP
https://kizuna.town.tamaki.mie.jp/bunkasports/kanko/genkosha.html
玄甲舎は弘化4 年(1847 年)に、田丸町佐田に建設された金森得水の茶室兼別邸。得水は、江戸時代後期に田丸城主久野丹波守の家老として政務を執り行うかたわら、千利休から続く表千家の千宗左に茶道を学んだ。築後170 年以上が経過した玄甲舎及び敷地を町指定史跡とし、平成27 年から29 年にかけ建物部分の改修、令和元年度に庭園の復元整備を行った。玄甲舎の築造には、千利休が営んだ「残月亭」や「不審庵」などを再建した大工・庄五郎が関わっており、全国で唯一庄五郎の作風を残す。庭園部分は約250 坪で、発掘調査などを行い当時の状態に近くなるよう復元されている。
庭園には石灯篭や蹲踞を備える。木々の間には大小の奇・怪石を取り混ぜた飛び石が置かれ、南側に広がる国束山系の山並みや東面の鷲嶺を借景としている。
 
*金森得水について
江戸時代後期、久野家の家老の一人として、藩政を預かる。財政的に行き詰った田丸領を立て直すため、新田の開墾や茶、桑の振興にも努めた。また、国学を本居宣長、茶道を表千家10 代千宗左、書道や和歌を有栖川宮幟仁親王の門下として学ぶ。日本古式泳法「小池流泳法」の師範として、久野家家臣の子弟たちの指導にもあたった。

ギャラリー

メッセージ

【伊勢本街道、熊野古道伊勢路を活性化し、さらなる賑わいを目指す】
玉城町は伊勢本街道、はせ街道、熊野街道(熊野古道伊勢路)の合流地点であり、分かれ道です。熊野古道伊勢路は古くは平安時代から往来があったことが歌謡集『梁塵秘抄』からもわかります。江戸時代における信仰の旅は多くの宗教施設を回ってくるという形態が中心になります。江戸よりお伊勢参りに来た旅人は、そのまま帰路につく者と伊勢路を通って西国三十三所巡りの旅に行く者とで分かれ、後者は玉城町で準備をするため、玉城町は出立の地でもあります。
現在は、当時の面影を残すものは少なくなっていますが、町内には石仏庵という西国三十三所巡りに関する石造物群も残っており、また玄甲舎より続く道にも所々熊野古道や伊勢街道の道標が残っています。
玄甲舎の元の持ち主であった金森得水は茶道や俳句を嗜む文化人であり、金森家史料として、1万6千点余りの文書群があり、その中に『那智山瀧歌百首』があります。この歌集は得水自らが詠んだ熊野那智に関する歌集で、その中には熊野古道伊勢路に関する歌もある事から、得水が実際に熊野古道伊勢路を歩いたと考えられます。
また、令和5年度末に玄甲舎の蔵に金森得水ゆかりの品を展示するスペースを設けました。街道とのつながりがわかる資料は少ないですが、街道の往来が盛んであった時代、街道分岐点を擁する町の要職者のコレクションを見ていただくことで、さらなる賑わいを目指します。

アクセス


〒519-0414
三重県度会郡玉城町佐田151-22

外部サイトリンク

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