横山氏庭園(通称:菰野横山邸園)

伊勢國お庭街道|伊勢神宮の参拝に繋がる[令和のお伊勢参り]|三重ガーデンツーリズム協議会

庭園概要

開園面積 846,1(㎡)
入園料金 2,000 円
公開時期 4月~7月、10 月~3 月(完全予約制)
施設管理者 民間
その他 参考文献
『現代和風庭園 庭に生きる』(重森三玲)
『日本庭園史大系 現代の庭(二)』(重森三玲・完途)
『こもの文化財だより34 号』(横山陽二)
komonobunkazai34.pdf (town.komono.mie.jp)
横山氏庭園は、令和2 年に「国登録記念物(名勝地関係)」に登録されました。菰野横山家12 世の横山秀吉が昭和を代表する作庭家である重森三玲氏に依頼して、昭和43 年に完成しました。庭園は、玄関前庭(国登録有形文化財の正門から主屋の玄関に至る庭)、表庭(枯山水の中心に心字島を配置)、露地(国登録有形文化財である茶室尽日庵がある)、裏庭(国登録有形文化財である書院の裏にある)の4庭からなります。正門から見える玄関前庭について重森氏は、江戸末期の建物である主屋(国登録有形文化財)と正門の調和を念頭に作庭したと述べています。
表庭は、心字形の島がある蓬莱式の枯山水です。書院の前にある舟石の形は、重森氏が大仙院庭園のものに匹敵する名石として評価する程に美しい。露地には、明治中期頃の茶室尽日庵が静かに佇んでいます。裏庭は、車窓から見えた昭和の菰野の田園風景を抽象化したモダンな庭であり、赤と白の砂で視覚に明るく訴える構成となっています。
横山氏庭園は、「庭屋一如」で重森氏が策定した庭と主屋、書院、茶室との調和を楽しむこともできる庭です
 
*横山家来歴について
代々伊勢国司北畠家に仕え(旗本として白口峠を守護)、内紛の絶えなかった北畠の行く末を案じて横山左馬介重近は、次男の重廣を永禄7年(1564年)に北伊勢の要所であった菰野に逃して織田家側につかせ、一族の生き残りを図りました。
江戸時代には菰野藩士となり、明治維新時は代官として藩政に参画していました。明治維新後10世の久平は、藩主土方雄志に従い東京で暮らした後に菰野に戻り、菰野村村長となります。11世の一格は、京都帝国大学医学部を出て医師となり、名古屋で開業し、その後大正13年に菰野より衆議院選挙に出馬して当選しています。
東京帝国大学医学部を卒業した12世の秀吉は、一格が開業した病院を継ぎ、戦後の一時期疎開先の菰野で診療所を開設しました。その後、病院のあった名古屋に戻り、以後菰野の横山邸は、別荘として使用されました。

ギャラリー

メッセージ

【菰野道周辺を活性化し、賑わいを創ること】
横山家が所有する古文書に『伊勢三十三所観音巡礼記』があります。これは、菰野横山家7世の横山維中が書写した写本で、それによると伊勢三十三所観音巡礼は、お伊勢参りの帰りに1番の太江寺(伊勢)から北へ向かい、33番の多度観音堂(桑名)までを巡る観音巡礼です。江戸時代は、菰野に25番尾高山観音堂、26番の慈眼寺があり、お伊勢参りの帰途に菰野を旅していたことがわかります。菰野とお伊勢参りの関係を示す歴史的な古文書からお伊勢参りとの関係の深さがわかります。
菰野町観光協会は、2021年より菰野横山邸園、尾高観音を巡る「菰野巡礼-心の旅」をバスツアー化しました。江戸時代のお伊勢参りを模して、庭園と尾高観音、湯の山温泉などを巡る着地型観光の旅は、人気を博しています。2025年3月23日に行われる第5回は、告知をせずに昨年のキャンセル待ちのお客様を対象としてツアーを行う予定です。このようにお伊勢参りの復路で、菰野横山邸園は、本来のお伊勢参りの復活に2021年より取り組み始めて賑わい創出に努めています。

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アクセス

〒 510-1233
三重県三重郡菰野町大字菰野字中里2656番、2657番

外部サイトリンク

※ツアーの開催状況等は必ずツアー会社HPをご確認下さい